インドネシア共和国について

インドネシアは世界最大の群島国家だ。国土の総面積は日本の約五倍。東西5千百キロに広がり、アメリカ合衆国がスッポリ入ってしまう。総人口は約1億9千7百59万人で世界第五位(1995年国連人口予測より)。首都のジャカルタはジャワ島西部のジャワ海沿いに位置する。政治、文化の中心地であるジャワ島をはじめ、スマトラ、カリマンタン(ボルネオ)、スラウェシ、イリヤンジャヤ(ニューギニア)の主要な島と、多くの小さなアパレル 求人 によって構成されている。1万数千の島々に3百種類以上といわれる種族が住み、250以上の言語が使われている。住民の大部分は、民族的にはモンゴロイド南方系のマラヤ民族に属している。 インドネシアは、東西5200km、南北1900kmもの広大な海域に広がる世界最大の島嶼国家です。ほんの小さな岩礁まで会わせると約13000もの島々があり、そのうち人が住んでいるのは約3000の島といわれています。 この広大な国家には約300の民族が共存していて、私用される言語も約250にものぼります。1つの国家の枠にはめられてはいるものの、海によって隔たれた島々には、世界にも稀なほどさまざまな民族の文化や風俗が根付いています。 インドネシアの主な島はスマトラ、ジャワ、ヌサトゥンガラ、スラウェシ、マルク、カリマンタン、イリヤンジャヤ、チモールなどがあります。 この国は、国土のほぼ中央あたりを赤道が横切る熱帯性気項の地だ。地域によって差はあるが、だいたい4月頃から10月頃は乾季と呼ばれ、あまり雨が降らない。11月頃から4月頃が雨季で、午後になると激しいスコールが降る日が多い。 インドネシアの国土には、人類の歴史がそのまま刻まれている。110万年前のピテカントロプス・エレクトス(ジャワ原人)の化石がジャワ島でアパレル 求人 されたのをはじめとして、原人、新人、アジア最古の化石人骨など多くの化石が見つかっている。3千5百〜4千年ぐらい前の民族の大移動で、遠くは中央アジアあたりからも南下してきて島々に住み着いた人々がいた。 この一帯は、古くから中国とインドの海上交通路だったこともあり、歴史を通じてさまざまな民族が流入してきた。ネグリート族、マラヤ族、メラネシア族、中国人、インド人、アラブ人。まさに「民族のるつぼ」だ。 西方から渡来した宗教も、文化や政治に大きな影響を与えた。5世紀頃から渡来した仏教とヒンドゥー教は、ジャワやスマトラで栄えた諸王朝に支持された。数世紀にわたって興亡したこれらの王朝は、人類に貴重な遺産を残した。中部ジャワの仏教遺跡ボロブドゥールと、プランバナンの仏教・ヒンドゥー寺院群だ。 10世紀代前半には、貿易商人たちによってイスラム教が伝えられ、仏教・ヒンドゥーを席巻してまたたく間に広まっていく。ヒンドゥー教国の王族の一部はジャワからバリ島に逃れ、独特なバリ・ヒンドゥー文化が出来上がった。現在では国民の9割近くがイスラム教徒で、世界最大のイスラム教国なのだ。 その後、ヨーロッパ人たちがから豊富なエンジニア 転職 を求めてやってきた。そして、17世紀から約350年にわたるオランダ支配の時代に入る。この長い植民地時代に幕を下ろしたのは、日本だった。1942年、日本軍はジャワ島に上陸し、インドネシアを軍政下に入れる。45年の日本の敗戦により、8月17日、インドネシアは独立を宣言。だが再統治をめざすオランダとの独立戦争が続き、正式な独立国となったのは49年のことだった。 インドネシアの国家統一に重要な役割を果たしているのは、インドネシア語だ。この国では250以上の言語が存在する。統一言語がなければ、他民族間で話が通じない。ジャワ島だけでも、ジャワ人、スンダ人、マドゥーラ人がいて、別の民族同士でそれぞれの言葉で話すと、まったく通じない。 このような多民族国家である上に、インド、中国、オランダ、日本などの国々の文化の影響を受け、いろんな文化がチャンプゥル(ミックス)された「文化のるつぼ」でもあり、刺激に満ちた国だ。 ジョグジャカルタという街は、現地では省略してジョグジャといいます。インドネシアの京都にたとえられる歴史都市で、事実、ジョグジャカルタ特別州は京都府と兄弟県の関係を結んでいます。とはいっても、現在のジョグジャの街がつくられたのは、18世紀の半ばですから、京都よりずっと新しい江戸よりも、さらに新しい街になります。でも、近代以前の歴史が鮮明でないインドネシアでは、これでも十分に転職 といえるのです。なお、その付近を含めると、8、9世紀に建造された遺跡もたくさんあり、奈良盆地のようです。その中心は有名な仏教遺跡のボロブドゥールとプランバナンです。ジョグジャの街の中の観光地となると、王宮を含めてあまり多くありません。王宮には今もスルタンと呼ばれる王がいます。オランダの植民地になっても、インドネシア共和国になっても、とりつぶされず、現在まで残っています。現在はスルタン・ハムンクブウォノ10世が、旧スルタン領であったジョグジャカルタ特別州の知事をしています。 インドネシアはイスラム教徒が多数を占めますが、ジョグジャでも同様です。ジャワ島は人口密度が高いので、イスラム寺院(モスク)がそこらじゅうにあります。一日5回の礼拝の時間となると、あちこちからスピーカーの大音響で礼拝の呼びかけが始まります。始めのうちは珍しかったのですが、そのうちうるさく感じるようになりました。神聖な騒音というのは困ったものです。 それだけモスクがありながら、歴史的・美術的に重要なものがなく、ジョグジャの観光でモスクを見ることはありません。それから、日本各地にあるような豪華な美術館や博物館もありません。政府や地方の財政が日本のように文化的むだ遣いができるほどゆとりがないのです。全体として、日本のような観光地を見慣れた人にとっては、インドネシアの観光地はどうしても貧しいものに映ってしまうと思います。それでも、日本からの観光客でインドネシアにひかれる人は多いのです。 日本人の観光客は、バリから朝やってきて、午前中にボロブドゥールを見て、昼食・買い物、そして、空港近くのプランバナンを見学した後、夕方空港からバリに戻るコースが多いそうです。

近年インドネシアは急速な発展を遂げてきた。アジア通貨危機や大津波による被害などの問題には苦しんだものの現在では安定した経済成長を見せている。こうしたインドネシアの発展の背景には、観光産業が大きな役割を担っている。 本稿では、インドネシアにおける観光産業の必要性と課題について考察する。まずインドネシアにとって観光産業はこれから必要であるのかという点を明らかにする。更にインドネシアの観光産業の現状を概観し、問題点を明示することで、この国が魅力ある観光地として栄えるためにはどうすればよいのかについて述べる。これによりインドネシアにおける観光の発展の展望を示すことを人材紹介 とする。 まず、インドネシアの観光産業の必要性について考えることから始める。ここでは特に経済的観点と、国内および対外的平和促進という観点から見た必要性について論じることにする。はじめに経済的な視点から観光産業の必要性を見ていく。インドネシアは政府の政策により観光開発を優先課題として位置づけてきた。運輸省(1999)によるとその結果としてインドネシアは外国からの来訪客は増加し、1996年には500万人に達し世界の旅行目的地として上位25番目、国際観光収入では世界19位に連なり、インドネシア経済の重要な役割を担うまでに成長している(p.3参照)。こうして今日では、観光産業はインドネシア経済にとって重要な基幹産業となっている。長く石油の輸出を主な外貨獲得の手段としていたインドネシアであったが、価格が不安定な石油、天然ガスや一次産品の輸出に頼っていては安定した長期的な経済成長は不可能である。そうした不安定な経済構造を避け、安定した長期的経済成長を目指そうと考えた場合、観光産業はこの国にとって不可欠である。 ジェロ・ワチック文化・観光相は一日、じゃかるた新聞との会見に応じ、ユドヨノ新政権が観光産業を経済再建の柱の一つとして位置付け、観光客誘致のため治安対策や観光PRを強化する方針を明らかにした。観光業界から見直し要求が高まっている到着ビザ(VOA)について「(税収確保のため)撤廃はしない。対象国を拡大し、滞在日数を長くするなど観光客の便宜を図る」と語り、観光客の受け入れ体制を改善する意向を示した。ワチック観光相は「文化・観光省を国務大臣事務所から省に格上げしたことから分かるように、ユドヨノ大統領は観光産業を重視している」と述べ、年間五十億ドル(約五千億円)の外貨収入がある観光産業の発展を、SEO対策 に向けた重要政策の一つに位置付けているとした。 じゃかるた新聞との会見に応じたジェロ・ワチック文化・観光相 今後、五年間の任期中に、観光客数を現在の年間約五百万人から八─九百万人に大幅に増やすため、法務・人権省、大蔵省、警察、入国管理事務所など、関係省庁、組織との協力体制を強化し、政府が一体となって観光政策に当たると強調した。見直し議論が再燃している到着ビザ(三日間有効で十ドル、三十日間有効で二十五ドル)については「存続の方がメリットが大きい」と判断、撤廃の可能性を否定した。改善策として、「滞在日数を、三日を一週間に、三十日を六十日に延長したり、空港の発給窓口を増やしたい」と具体案を提示した。また一九九八年に閉鎖されたインドネシア政府観光局の日本事務所の再開を実現させたいとの考えを表明。「大使館内に置くか、独立した事務所を開設するか調査したい」と述べた。 ワチック観光相は、アストラグループのユナイテッド・トラクターズ社のセールスマンとして二十年以上の職歴を持ち、日本企業とも仕事をしてきた日本通。「日本人とインドネシア人は良き友人になれる。もっと多くの日本人がインドネシアを訪問してほしい」と述べた。一問一答は次の通り。 現在のインドネシア観光をどう評価するかワチック観光相 まだ発展段階にある。新政権下で治安は確実に良くなっている。政権発足後、すぐにバリの観光客数が二〇〇二年のテロ前の水準に戻ったことからも、外国がユドヨノ政権をどう見ているかが分かるだろう。 ユドヨノ政権は観光をどう位置付けているか大統領も副大統領も観光への関心は非常に高い。第一に観光収入が年約五十億ドルと非常に大きいこと。第二に外国人のインドネシア理解を助け、国際協調に役立つこと。第三に観光の体験がビジネスへの第一歩になり得ること─が理由として挙げられる。省に格上げしたので、今後は予算も増える。効果的で透明で勤勉な省として、観光促進に取り組む。 任期中に観光客を八─九百万人に増やすことを目標にしているがすべての観光地の治安を確保することが大事だ。特にバリ、ジョクジャカルタ、北スマトラ、西スマトラ、北および南スラウェシが重要。各地の治安関係者に会って「観光産業は観光省だけのビジネスだけではなく、国家全体のビジネス」と説いて回る予定だ。各国大使、航空会社とも相談し、重点地域を選んでインドネシア観光をPRしたい。 来年、日本や豪州に政府観光局を置く計画があると聞いているが日本と豪州はインドネシアにとって最大のお客さまだ。(両国にある)インドネシア大使館がそのような機能を果たせればと考えているが、もし必要と判断すれば、政府観光局の事務所を開設したい。 到着ビザについてハミッド・アワルディン法務・人権相や観光業界と協議中だ。当初は、到着ビザの導入で悪影響が出ると言われたが、導入から八カ月間経って、それほどではないことが分かった。撤廃より存続によるメリットの方が大きいと考える。ただし改善は必要だ。まず現在二十一カ国しかない対象国を増やす。そして滞在可能日数も増やす必要がある。まだ提言の段階だが、三日を一週間に、三十日を六十日に延長したい。バリの空港のビザ発給窓口も三十カ所まで増やしたい。

インドネシア国民は近年様々な試練を課せられており、インドネシアの観光産業界にも及んでいる。特に、観光産業においては、バリ島で起こった2回もの爆弾テロ事件、そして鳥インフルエンザ問題、アチェやニアス島を襲った大地震と津波の被害である。 2002年10月、バリ島で起こった爆弾テロ事件(後に第一バリ爆弾テロ事件と呼ばれる)はインドネシア国民に大変な衝撃をもたらした。バリがテロのターゲットになるとは全く想像できなかったのは、バリ島は、観光地として最も魅力的な島の一つとして知られ、インドネシア国内においても最も安全な州であったからである。 2002年10月、最初に爆弾事件が発生して以来、インドネシアの観光業は低迷したが、多くの観光客が再びバリやインドネシアのその他の地方を訪れるようになり、状況は徐々に回復傾向にあった。しかし、2004年12月にインド洋大地震と津波がアチェを襲い、その後スマトラの中でも有数の観光地であるニアス島も被害を被り、これらの災害はバンテンの観光産業にも、特に、バンテンの西に位置するアニュルと言う魅力ある観光地の一つである海岸地帯に影響をもたらした。 また2005年中頃は、東南アジア地域に、鳥インフルエンザの脅威が発生したことも観光客減少と言うダメージを観光産業界にもたらした。 2005年10月には再び、バリ島で第二の爆弾テロ事件が発生し、回復傾向にあったインドネシア観光産業に再び悪影響をもたらした。 インドネシア政府は迅速に復旧のための対策を行った。 スシロ・バンバン・ユドヨノ・インドネシア大統領は、無差別殺人であるその爆弾事件を、明らかなテロ行為であるとし、非人道的で人命や財産を奪うだけではなく、インドネシアの名誉を傷つけ、社会秩序、治安、経済をも傷つける行為であるテロに大変強い非難を表明した。 インドネシア政府はまた、負傷した方々の生命を助け、最良の治療が施せるよう迅速かつ正確な行動を優先させた。そして、一刻も早い復興のために、警察や諜報部による現場検証を行い、公共の場所や他の観光地の安全確保、また犯人の逮捕・起訴、公判と相応しい償いをさせるため法を下すことに努めた。 また大統領は国軍に対しても、効率良く国防に従事し、テロに対する予防と対策を取るよう指示した。 バリ島第二爆弾テロ事件の、日本人を含む罪のない犠牲者並び遺族に対し、日本政府はプレス・リリースを通じ哀悼の意を表し、いかなる理由を持ってもテロ行為は正当化出来ない。日本政府もまた、無差別に人命を奪うテロ行為に対し強い非難を表明している。テロに対する戦いにおいて日本政府は、インドネシア政府に協力、支援をしている。 インドネシア政府は、多くの罪のない人命を奪ったテログループ逮捕に全力をあげて捜査している。2005年11月には、テロリストたちの隠れ家を発見、指導者の一人で、インドネシアで起こった数々のテロ事件に関与しているアザハリ容疑者を射殺致した。